バナナ
バナナはフルーツの王様でした。
黄色の皮をまとったその容姿に人々は憧れ、
まるで黄金を見るかのような羨望の眼差しで眺めていました。
そうです。昭和30年代後半まで、
バナナはめったに食べることが出来ない高級品だったのです。

私の幼き時代には「遠足」か「特別な日」にしか
食べられないものだと思っていました。
それは常識であり、無二の楽しみでもありました。
当時、遠足で食べたバナナの味は忘れられません。
台湾バナナが主流の時代、今より甘かった気がします。
そうそう、遠足のお菓子代のことになると
「先生!バナナはおやつですか?デザートですか?」
と言う質問が定型句のように繰り返されました。
もちろん、答えは「デザート」でなければならないのですが…
そんなバナナ神話で育った私でしたが、
その後のバナナの運命に気がついたのはずっと後年のこと。
輸入自由化やフィリピンでの大量生産。
輸送や保管技術の発達などにより、
バナナの価値が下落していったことなど、
まったく知らずに中学生になっていたのです。
そしてある日、私は 衝撃 を受けます。
いつも通りに部活を終え、家路に向かった道すがらでした。
ある八百屋さんの店先で、
そいつは1山いくらの身分に成り下がっていたのです。
「? 俺のこづかいでも買えるんや!!」
その衝撃にお馬鹿ちゃんな私はある計画を思いつきます。
その名も『自分だけのバナナ食べ放題計画』。
悲しいほど幼稚な計画ですね。
そして計画実行。
土曜日の夕方にバナナを一房買い込んだ私は、
こっそりと自室に篭り、夜中に嬉々として食べました。
あの高級果実が食べ放題なのです。
3本目までは、それは至福の時でした。
でも、さすがにそれ以降は食傷ぎみ…。
しかし家人に悟られない完全犯罪を目指した私は、
無理に完食しました。8本を完食したのです。
翌朝、みぞおち辺りがプックラと膨れ上がり、
気持ちが悪く、脂汗さえ出てきました。
仕方なく母親に症状を告げ病院へ…。
お医者さんにも両親にもあの事はけっして告げないまま、
診療は終了しました。
月曜日は学校を休み自宅療養です。
投薬された粉薬が効いたのでしょう。
その日中には何とか体調が回復し、真相は闇の中に葬られたのです。
そんな悲惨な経験がある私ですが、
それでもやっぱりバナナが大好き。です。
何故にそれほどまでに…?
幼い頃の強烈な甘さへの欲求だけではないのでしょう。
思い巡らす内に、ある事に気付きました。
私のバナナに対する強い憧れは、
母の思いを受け継いでいるのではないかと。
いつだったかは忘れましたが、
母がこんな昔話を聞かせてくれました。
母が父と結婚した当時、
二人は父の仕事の関係で山深い田舎に住んでいました。
物資の流通にも不便な土地での新婚生活だったようです。
そんな二人の唯一の楽しみは、
2ヶ月に一度、休日に町までバスで出て、
映画を見ることだったそうです。
そしてその帰りに、いつもバナナを2本買い、
家に帰ってから二人で食べた喜びが忘れられない。
と、母は幸せそうに話してくれました。
きっとその思いが私の心にも宿ったのだと思います。
最近、
スーパーでぞんざいな扱いを受けているように見えるバナナ、
あの栄光をもう一度…とまでは思いませんが、
なんだか複雑に眺める私なのです。

バナナの叩き売り発祥の地、門司。この写真は門司港駅の写真です。
saraさまのご好意により使わせていただきました。
駅…素敵な想い http://sararuru17.blog80.fc2.com/
―追記―
その後のお馬鹿ちゃんの出来事…。
「ハウスの粉プリン」を一箱まるまる食べたくて、
家人が留守の日を狙い済まし、ボールに作って完食しました。
お陰様でお腹は丈夫になっております。
黄色の皮をまとったその容姿に人々は憧れ、
まるで黄金を見るかのような羨望の眼差しで眺めていました。
そうです。昭和30年代後半まで、
バナナはめったに食べることが出来ない高級品だったのです。

私の幼き時代には「遠足」か「特別な日」にしか
食べられないものだと思っていました。
それは常識であり、無二の楽しみでもありました。
当時、遠足で食べたバナナの味は忘れられません。
台湾バナナが主流の時代、今より甘かった気がします。
そうそう、遠足のお菓子代のことになると
「先生!バナナはおやつですか?デザートですか?」
と言う質問が定型句のように繰り返されました。
もちろん、答えは「デザート」でなければならないのですが…
そんなバナナ神話で育った私でしたが、
その後のバナナの運命に気がついたのはずっと後年のこと。
輸入自由化やフィリピンでの大量生産。
輸送や保管技術の発達などにより、
バナナの価値が下落していったことなど、
まったく知らずに中学生になっていたのです。
そしてある日、私は 衝撃 を受けます。
いつも通りに部活を終え、家路に向かった道すがらでした。
ある八百屋さんの店先で、
そいつは1山いくらの身分に成り下がっていたのです。
「? 俺のこづかいでも買えるんや!!」
その衝撃にお馬鹿ちゃんな私はある計画を思いつきます。
その名も『自分だけのバナナ食べ放題計画』。
悲しいほど幼稚な計画ですね。
そして計画実行。
土曜日の夕方にバナナを一房買い込んだ私は、
こっそりと自室に篭り、夜中に嬉々として食べました。
あの高級果実が食べ放題なのです。
3本目までは、それは至福の時でした。
でも、さすがにそれ以降は食傷ぎみ…。
しかし家人に悟られない完全犯罪を目指した私は、
無理に完食しました。8本を完食したのです。
翌朝、みぞおち辺りがプックラと膨れ上がり、
気持ちが悪く、脂汗さえ出てきました。
仕方なく母親に症状を告げ病院へ…。
お医者さんにも両親にもあの事はけっして告げないまま、
診療は終了しました。
月曜日は学校を休み自宅療養です。
投薬された粉薬が効いたのでしょう。
その日中には何とか体調が回復し、真相は闇の中に葬られたのです。
そんな悲惨な経験がある私ですが、
それでもやっぱりバナナが大好き。です。
何故にそれほどまでに…?
幼い頃の強烈な甘さへの欲求だけではないのでしょう。
思い巡らす内に、ある事に気付きました。
私のバナナに対する強い憧れは、
母の思いを受け継いでいるのではないかと。
いつだったかは忘れましたが、
母がこんな昔話を聞かせてくれました。
母が父と結婚した当時、
二人は父の仕事の関係で山深い田舎に住んでいました。
物資の流通にも不便な土地での新婚生活だったようです。
そんな二人の唯一の楽しみは、
2ヶ月に一度、休日に町までバスで出て、
映画を見ることだったそうです。
そしてその帰りに、いつもバナナを2本買い、
家に帰ってから二人で食べた喜びが忘れられない。
と、母は幸せそうに話してくれました。
きっとその思いが私の心にも宿ったのだと思います。
最近、
スーパーでぞんざいな扱いを受けているように見えるバナナ、
あの栄光をもう一度…とまでは思いませんが、
なんだか複雑に眺める私なのです。

バナナの叩き売り発祥の地、門司。この写真は門司港駅の写真です。
saraさまのご好意により使わせていただきました。
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―追記―
その後のお馬鹿ちゃんの出来事…。
「ハウスの粉プリン」を一箱まるまる食べたくて、
家人が留守の日を狙い済まし、ボールに作って完食しました。
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1957年生。射手座。
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