2017 04123456789101112131415161718192021222324252627282930312017 06

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

[ --/--/-- --:-- ] スポンサー広告 | トラックバック(-) | コメント(-)

魔法の薬、赤チン。

半ズボンから見える両膝には、
赤く銀光りする子供の勲章。

その勲章は時には顔にまで及び、
誇らしくもあり、恥ずかしくもある、
昭和の時代はそんな子供達で溢れていました。


その赤の正体はもちろん赤チンです。


当時、赤チンといえば魔法の薬
子供が傷をつくって帰ってきても、
「赤チンぬっとけ」
の一言で終わりでした。


何ともいい加減なようでしたが、
不思議と2、3日もすれば傷は癒え、
昭和の赤チン信者は増殖したものです。


赤チンによる治療は、
沁み入る痛さも鈍かった為、
わりと平気でした。


そんな赤チンが子供達の味方の薬だとすれば、
赤チンと兄弟であったヨーチンや、
同じく義兄弟であったオキシドールは、
一癖も二癖もあるやっかいな連中だったのです。


赤チンヨーチンオキシドール
これらの昭和の子供三種の傷薬は、
傷の大小や症状によって役割が分担されており、
自分の傷がどの薬で治療されるかの選択権は、
子供には与えられていませんでした。

それ故に、
赤チン以外の容器を摘む大人の手が、
何よりも恐ろしく思えて、
傷の痛みも忘れてしまう程でした。


そしてDOKI-DOKIする自分との戦い…。


覚えていらっしゃいますか?

傷口に垂らしたオキシドールから、
ジュワジュワと発生する、
あの白い泡の恐怖を…。


ひぃ、ひぃ、ひょえ~っ!
…グッ、グ、グ、グヒィ~!
と、心の中で悲鳴をあげながら、
のたうち回った痛みが思い出されます。

あの白い泡の動く様は、
「消毒してやってんだぞ!」
というオキシドールの動的主張であり、
男を意識し始めた少年としては、
我慢を見せつけなければなりませんでした。


しかし、
そんな少年の心を容易に砕く薬といえば、
暗紫色の液体、ヨーチンに他なりません。

ヨーチンはめっちゃくちゃ沁みました。


『ぎょっ、え~~~~~!』

と断末魔の声が家や保健室から聞こえたのも、
無理からぬことでした。


傷口と共に心にも沁みた、昭和の薬たち。
あの懐かしい魔法の薬でさえ、
今では見かけなくなりましたね。

何でも水銀の関係から、
もう作られていないのだとか…。


子供の生傷は随分と減りましたが、
心の傷がその分増えているように感じます。


心の赤チン。


処方できる大人でありたいと、
赤チン世代は思うのです。



スポンサーサイト
[ 2008/09/05 02:07 ] 昭和の風景 | TB(0) | CM(38)

伝言板~駅

駅の伝言板が姿を消していったのは、
いつ頃のだったのでしょう。


携帯電話がデジタル化された平成12年(2000年)頃から、
その役目を終え無くなっていったのだろうとは、
容易に想像出来ます。


ポケットベルも携帯電話も無かった昭和では、
誰かと待ち合わせる行為は、
今ほど安易なものではなく、
会えない不安を相手と共有した、
そんな約束でした。


もちろん日時や場所、
そして服装の色なども伝え合い、
ドキドキしながら待ち合わせたものでした。

交通機関の遅れや、
場所、日時の勘違い。
急な用事に体調不良など、
間に合わなかったり会えなかったりすることも、
時にはありました。


そんな時、
連絡の取れない相手を
皆さんはどれだけ待った経験がありますか?


携帯電話ですぐにでも連絡のつく今とは違い、
忍耐強く思いを馳せながら立ち尽くしたものです。


そしてタイムリミットの時がくれば、
伝言板」に思いを綴りました。

いわゆる黒板で出来た「伝言板」には、
一定の時間が過ぎると消されてしまうメッセージが、
切なげに並んでいました。


白いチョークで綴られた言葉たち、
それぞれの言葉から物語が想像され、
何とも言えない人生劇場が垣間見られたものでした。



今も伝言板がある駅、
きっと存在するのだと思います。

昔のように暗黙のルールにのっとって、
整然と使われているのでしょうか?

社会のルールが崩壊しつつある昨今、
使われ方に変化はあるのでしょうが、
期待は持ち続けたい思いです。



野口五郎さんが歌ってヒットした、
私鉄沿線」(作詞:山上路夫さん/作曲:佐藤寛さん)のなかに


♪伝言板に君のこと
 ぼくは書いて帰ります
 想い出たずねもしかして
 君がこの街に来るようで 
全歌詞はこちら…


そんな歌詞がありました。
届かないであろう思いを綴る、
そんな風景が懐かしいですね。



伝言板を使った歌で、
私が最も印象深い言葉は、
小椋佳さん作詞作曲の「ただお前がいい」です。


♪ただお前がいい
 おとすものなどなんにもないのに
 伝言板の左の端に
 今日もまた一つ
 忘れ物をしたと誰にともなく書く
全歌詞はこちら…



俺たちの旅」のエンディングテーマであったこの曲は、
中村雅俊さんの演じたカースケのイメージとダブり、
今でも心に残っています。



何だか伝言板を探す旅に出かけたくなりました。
白いチョークを手に、今なら何と書くのでしょうか。





俺たちの旅・青春の詩~俺たちシリーズ主題歌・挿入歌集~俺たちの旅・青春の詩~俺たちシリーズ主題歌・挿入歌集~
テレビ主題歌 中村雅俊 松崎しげる

曲名リスト
1. 『俺たちの旅』 (1957~1976): 俺たちの旅
2. 猫背のあいつ (第4話「男の友情は哀しいのです」挿入歌)
3. 千住大橋 (第11話「男はみんなロマンチストなのです」挿入歌)
4. 私の町 (第20話「本気になって生きていますか?」挿入歌)
5. 生きる (第21話「親父さんも男なのです」ほか挿入歌)
6. 青春の坂道 (第22話「少女はせつなく恋を知るのです」挿入歌)
7. 木もれ陽 (第28話「木漏れ日の中に想い出が消えたのです」挿入歌) (※初CD化)
8. 街の灯 (第33話「妹の涙をある日みたのです」挿入歌)
9. 盆帰り (第33話「妹の涙をある日みたのです」挿入歌)
10. ただお前がいい
11. 『俺たちの朝』 (1976~1977): 俺たちの朝
12. 海が呼んでる
13. ふるさとへお帰り (※初CD化)
14. 光こぼれる時に
15. 『俺たちの祭』 (1977~1978): 俺たちの祭
16. 時をひらくと (第6話「風の孤独」ほか挿入歌)
17. 辛子色の季節 (第15話「生きることの祭」挿入歌)
18. 想い出のかたすみに (主人公・今城隆之の歌手デビュー曲)
19. ただこの時だけを
20. 初ディスク化 『俺たちの旅』 TVサイズ: 俺たちの旅 (歌詞の"夢の坂道は"が"夢の旅路は"になっています)
21. ただお前がいい
22. 俺たちの旅

Amazonで詳しく見る
by G-Tools



りばいばる 歌謡曲編 野口五郎りばいばる 歌謡曲編 野口五郎
野口五郎

曲名リスト
1. 青いリンゴ
2. 君が美しすぎて
3. 愛さずにいられない
4. 私鉄沿線
5. 針葉樹
6. 真夏の夜の夢
7. オレンジの雨
8. 告白
9. 甘い生活

Amazonで詳しく見る
by G-Tools



[ 2008/02/01 21:12 ] 昭和の風景 | TB(1) | CM(32)

大晦日


昭和の大晦日の過ごし方には、
ある一定のパターンがありました。

とは言っても、
紅白歌合戦日本レコード大賞が出揃った、
昭和34年(1959年)以降のスタイルなのですが…。


大晦日
大人も子供も話題の中心はレコード大賞のゆくえ。
夕方までには大掃除やお風呂も済ませて茶の間に集合です。


普段ではお目にかかれない食卓に目をみはりながら、
今夜はいつまでも起きていてもいいぞ
との魅惑的な言葉が父から飛び出すのも恒例でした。

(私の暮らす地方では、大晦日の晩に「年取り」といってご馳走を食べる習慣があります。)


父親はお酒を飲み、
母親は忙しなく配膳をするなかで、
日本レコード大賞が始まります。
ブラウン管には司会の高橋圭三さんの姿。


手に汗にぎる瞬間の後、
涙の授賞式を見届けるやいなやチャンネルはNHKに。
オープニングにあの歌手が間に合うか?
なんて予想をしながら、家族一丸となっての紅白です。


宮田輝さんや佐良直美さん、
山川静夫さんや水前寺清子さんが
よく司会をなさってた時代です。


南極観測隊からの電報を拝聴したり、
出演者同士のコントを見ながら、
ラストは日本野鳥の会の皆様の出番でした。

服部良一さんのタクトで蛍の光を歌えば、
時刻はもう11時45分。
あと少しで新年です。


年が明けたらお年玉…。
そんな期待を胸に「行く年来る年」の厳かな静寂の中、
ぼ~ぉお~ん と響く鐘の音を遠くなる意識で聞きました。


そんな当たり前のような大晦日も昨今ではなくなり、
紅白歌合戦も様変わりしています。
更に、レコード大賞が30日になるなんて…。


視聴率という企業論理の前には、
習慣や思い出など入り込む隙もないようです。


「傷だらけの天使」において
アキラが大晦日に紅白はずしたことがないと言ったシーンや、

「北の国から」において
大晦日の夜、正吉の家から垣間見えた母子のぬくもりの中、
テレビに映し出された紅白の映像を雪の中で見る

そんな名場面も紅白が紅白であったからこそでした。


もちろん当時、
心躍る裏番組があった訳ではなく。
テレビだって一家に1台でしたから、
比べる土壌にはないのですが、
一抹の寂しさは禁じえません。


年の瀬に少し湿っぽい記事になってしまいました。


皆さま、
本年度のご来訪、心から感謝いたします。


生来の無精者である私が、
何とかここまで続けてこられたのは、
皆さまがこの拙いブログを覗きに来てくれたからこそです。

今年度はこれにて終了しまが、
何卒、来年もよろしくお願い致します。

皆さまの来年が幸多き年になりますように…。
心より祈念いたします。



[ 2007/12/31 01:10 ] 昭和の風景 | TB(0) | CM(18)
全記事表示リンク
プロフィール

こやけゆうや

Author:こやけゆうや
1957年生。射手座。
拙い昭和の伝道師です。
ご訪問感謝いたします。
コメントいただけると
嬉しいです。


上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。